






10代前から地元福岡県の事務所に所属し、当時は「浜崎くるみ」の芸名で銀行のポスタ−やその他地元広告で活動。
1997年歌手になることを目指し、ボイストレーニングのため渡米。
1998年
4月8日発売の1stシングル『poker face』で「浜崎あゆみ」としてデビュー。
オリコンチャート20位を記録。
8月5日発売の3rdシングル『Trust』では初のTOP10入り。
1999年
1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初めて獲得。
約150万枚を売り上げたミリオンヒットとなった。
4月14日発売の7thシングル『LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜』でシングルでは初のチャート1位を獲得。
8月11日発売の10thシングル『A』がシングルとしては初のミリオンとなり、前作『Boys & Girls』もその後にミリオンとなった。
12月31日、紅白歌合戦に初出場。
2000年
夏には初のツアーに挑んだが、左耳の内耳性突発難聴により一部を延期。
11月には有線放送大賞でGPを獲得。以降、ALL JAPANリクエストアワード、ベストヒット歌謡祭などでもGPを受賞し、4連覇を達成した。
12月13日発売の19thシングル『M』では「CREA」名義で作曲を手がけ、ミリオンを記録。
この年に初のカウントダウンライブも開催し、以降毎年行っている。
2001年
3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。
宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売だったが、初動・累計ともに宇多田に敗れた。しかし、最終的には両者ともに400万枚以上の売り上げを記録した。
夏には、東京・大阪・名古屋・福岡の4大ドームツアーを敢行(女性ソロ歌手としては安室奈美恵以来2人目)。
この年の末に24thシングル『Dearest』でレコード大賞を受賞した。以降、2002年、2003年共に受賞し、史上初となる3連覇を果たした。
2002年
4月24日発売の26thシングル『Free & Easy』は雑誌「Free & Easy」とコラボレーション企画であり、雑誌「Free & Easy」の別刊「浜崎共和国」を発売。
7月24日発売の27thシングル『H』が、2002年唯一のシングルのミリオンセラーとなった。
9月26日発売の28thシングル『Voyage』に合わせて短編映画「月に沈む」を公開し、歌手デビュー以降初の女優業に挑戦した。
10月12日、初の司会を務める番組「ayu ready?」が放送開始。
2003年
3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』でファン投票により選曲を行い、多くの曲の別バージョンを収録。
5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。
7月9日発売の28thシングル『&』は、これまであまり期間を空けずにリリース活動を行っていたが、今作は前作から10ヶ月ぶりのリリースとなった。この頃からPVにも力を入れるようになった。
10月9日〜10月31日、シングル30枚発売を記念し、過去のシングル曲メインのライブA museum 〜30th single collection live〜が行われた。
12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売。Bonus Track以外の全ての収録曲のPVが作られた。
2004年
3月20日、自身が司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了。
この頃からCM等を降板し、メディアへの露出が少なくなっている。
過去のようなミリオンヒットなどはないが、シングル累計売り上げは30万枚程度と安定した売り上げとなった。
7月28日、エイベックスを退社した松浦勝人が立ち上げる予定の新会社に移籍する考えを明らかにしたが、松浦の復帰によりそれは免れた。しかし、この騒動のため、日本レコード大賞など全てのの賞レースを辞退し、以後賞レースから離れるようになる。
2005年
11月30日発売の38thシングル『Bold & Delicious/Pride』はアルバムの先行シングルだったためか、売り上げは15万枚程度まで落ち込む。
2006年
6月21日に発売された40thシングル『BLUE BIRD』では初動16万枚にまで回復し、またソロ歌手、女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2千万枚を記録する。
11月29日に発売された8thアルバム『Secret』は当初、2ndミニアルバムの予定だったが、8th フルアルバムへ変更。
NHK紅白歌合戦では初めてアルバム曲『JEWEL』を披露することになった。
2007年
2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』、『A BEST 2 WHITE-』が発売された。
オリコンチャート1位および2位を初登場で独占した。この記録は、女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来となる、36年ぶりの記録となる。
3月10日から初の海外公演を含む大規模なツアーが行われた。この頃より女優業への意識を報じている。
7月18日発売の41thシングル『glitter/fated』のDVDに収録されたショートフィルム「距愛 〜Distance Love〜」では、香港の俳優・余文樂と共演している。
12月5日には、初のデジタル・ダウンロードのみとなる43thシングル『Together When…』をリリース。
2008年
1月4日、ファンクラブのブログにて、左耳の内耳性突発難聴が悪化し、左耳の聴覚がなくなり治らなくなったことを明らかにした。
4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』をリリース。
12月24日、過労による貧血で高所から落下し、右手に全治3週間の怪我を負ったため、音楽番組の出演を急遽辞退。
その後のカウントダウンライブや紅白歌合戦などの出演も危ぶまれたが、緊急手術後公演を行った。
2009年
3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を含む4タイプをリリースした。
1997年歌手になることを目指し、ボイストレーニングのため渡米。
1998年
4月8日発売の1stシングル『poker face』で「浜崎あゆみ」としてデビュー。
オリコンチャート20位を記録。
8月5日発売の3rdシングル『Trust』では初のTOP10入り。
1999年
1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初めて獲得。
約150万枚を売り上げたミリオンヒットとなった。
4月14日発売の7thシングル『LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜』でシングルでは初のチャート1位を獲得。
8月11日発売の10thシングル『A』がシングルとしては初のミリオンとなり、前作『Boys & Girls』もその後にミリオンとなった。
12月31日、紅白歌合戦に初出場。
2000年
夏には初のツアーに挑んだが、左耳の内耳性突発難聴により一部を延期。
11月には有線放送大賞でGPを獲得。以降、ALL JAPANリクエストアワード、ベストヒット歌謡祭などでもGPを受賞し、4連覇を達成した。
12月13日発売の19thシングル『M』では「CREA」名義で作曲を手がけ、ミリオンを記録。
この年に初のカウントダウンライブも開催し、以降毎年行っている。
2001年
3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。
宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売だったが、初動・累計ともに宇多田に敗れた。しかし、最終的には両者ともに400万枚以上の売り上げを記録した。
夏には、東京・大阪・名古屋・福岡の4大ドームツアーを敢行(女性ソロ歌手としては安室奈美恵以来2人目)。
この年の末に24thシングル『Dearest』でレコード大賞を受賞した。以降、2002年、2003年共に受賞し、史上初となる3連覇を果たした。
2002年
4月24日発売の26thシングル『Free & Easy』は雑誌「Free & Easy」とコラボレーション企画であり、雑誌「Free & Easy」の別刊「浜崎共和国」を発売。
7月24日発売の27thシングル『H』が、2002年唯一のシングルのミリオンセラーとなった。
9月26日発売の28thシングル『Voyage』に合わせて短編映画「月に沈む」を公開し、歌手デビュー以降初の女優業に挑戦した。
10月12日、初の司会を務める番組「ayu ready?」が放送開始。
2003年
3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』でファン投票により選曲を行い、多くの曲の別バージョンを収録。
5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。
7月9日発売の28thシングル『&』は、これまであまり期間を空けずにリリース活動を行っていたが、今作は前作から10ヶ月ぶりのリリースとなった。この頃からPVにも力を入れるようになった。
10月9日〜10月31日、シングル30枚発売を記念し、過去のシングル曲メインのライブA museum 〜30th single collection live〜が行われた。
12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売。Bonus Track以外の全ての収録曲のPVが作られた。
2004年
3月20日、自身が司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了。
この頃からCM等を降板し、メディアへの露出が少なくなっている。
過去のようなミリオンヒットなどはないが、シングル累計売り上げは30万枚程度と安定した売り上げとなった。
7月28日、エイベックスを退社した松浦勝人が立ち上げる予定の新会社に移籍する考えを明らかにしたが、松浦の復帰によりそれは免れた。しかし、この騒動のため、日本レコード大賞など全てのの賞レースを辞退し、以後賞レースから離れるようになる。
2005年
11月30日発売の38thシングル『Bold & Delicious/Pride』はアルバムの先行シングルだったためか、売り上げは15万枚程度まで落ち込む。
2006年
6月21日に発売された40thシングル『BLUE BIRD』では初動16万枚にまで回復し、またソロ歌手、女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2千万枚を記録する。
11月29日に発売された8thアルバム『Secret』は当初、2ndミニアルバムの予定だったが、8th フルアルバムへ変更。
NHK紅白歌合戦では初めてアルバム曲『JEWEL』を披露することになった。
2007年
2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』、『A BEST 2 WHITE-』が発売された。
オリコンチャート1位および2位を初登場で独占した。この記録は、女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来となる、36年ぶりの記録となる。
3月10日から初の海外公演を含む大規模なツアーが行われた。この頃より女優業への意識を報じている。
7月18日発売の41thシングル『glitter/fated』のDVDに収録されたショートフィルム「距愛 〜Distance Love〜」では、香港の俳優・余文樂と共演している。
12月5日には、初のデジタル・ダウンロードのみとなる43thシングル『Together When…』をリリース。
2008年
1月4日、ファンクラブのブログにて、左耳の内耳性突発難聴が悪化し、左耳の聴覚がなくなり治らなくなったことを明らかにした。
4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』をリリース。
12月24日、過労による貧血で高所から落下し、右手に全治3週間の怪我を負ったため、音楽番組の出演を急遽辞退。
その後のカウントダウンライブや紅白歌合戦などの出演も危ぶまれたが、緊急手術後公演を行った。
2009年
3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を含む4タイプをリリースした。